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とまのをと。

二次元と三次元の狭間で日常から逃避行するブログ。瀬戸内よりお届けしてます。

世紀末の腐向け事情と、石かりに感じたバールのようなもの。

雑記 雑記-腐向け

いわゆる腐向け作品の呼び名が、やおいからBLへと変化して久しい。

90年代中盤まではやおい全盛だったのに対し、00年代中盤にはすでにBLへ移行完了していたように思う。一般的にもある程度認知されつつあり、今となってはBLのほうがしっくりくるようになった。

今回はその狭間、まだネットも普及しきっていなかった世紀末前後の、混沌としたBLの昔話をしよう。

特に腐り切った話はしていませんが、この時点でヤバいと思ったらそっ閉じ推奨。あと、あくまで私の記憶と感覚ベースで進行しています。

 

私が一番最初に手を出した二次創作は、南国少年パプワくんだった。

同人誌も置いているタイプの古本屋で、なんだか毛色の違うパプワくんを見つけて手に取り、衝撃を受けた。

ある意味王道、シンタロー×サービス。(健全本だったよ!ほんとだよ!)

なんだ、なんなんだこれは。まあ、パプワくん自体わりとそういう視点込みで描かれていた(というのはある程度年取って気づいた)のだが、原作を読んで抱いていたモヤモヤした感情が一気に具現化したような心境だった。サービス叔父様大好きだったので、それはそれはもう心臓に悪かった。

詳細は省くが原作で幼心にクソ萌えていた、サービスのジャンに対する想いをシンタローに重ねている描写がより丁寧に、オリジナルのエピソードを交えて描かれていて、シンタローも知ってか知らずかサービスの想いに応えようとする、という内容だった。

なんなんだよこれは!!!なぜか!!!!滾るぞ!!!!!

……というわけで、ここから転がり落ちるように同人沼にハマることとなった。

 

それから、WJ、ガンガン、スクエニゲームあたりを中心に、流行アニメを少々かじりつつ、花とゆめやASUKA系統の少女誌、ミステリ等の小説にもせっせと手を出した。当時活発だったジャンルはひととおり通っていると思われる。

このころの私は、まさに熱に浮かされている状態。NLやGLには目もくれずひたすら男×男道を邁進したわけだが、大量の同人誌を読み進めるうちに気づいたことがあった。

壮大な死ネタ、キチネタ、病みネタのオンパレードで、読む話、読む話、めちゃくちゃ暗い。特にFF7全盛の頃など、主人公があの通りなので誰とどうなろうと胃が痛いくらい暗い。(オールキャラギャグ本とかもあったにはあったけども)

とにかく切なくて、とにかく悲劇的で、とにかく壮大に自分語る。とにかくベタで塗られたページに、謎の悲しいポエムが白抜き文字で刻まれているところから始まる。そんなストーリーが本当に多かったのだ。

 

そもそもBLの黎明期は70年代、竹宮惠子風と木の詩』が連載された頃には、すでに同人界隈に存在していたとどこかで読んだ。

風と木の詩 (1)

風と木の詩 (1)

 

 このあたりの切ない少年愛を描いた少女マンガが起点になったなら、悲恋全盛の流れが本流になることも仕方がないように思う。

それから80年代のバブル期に入り、同人界隈もバブリーだったと聞く。買い手もバブリーだっただろうから、さぞや楽しい時代だったのだろうと推測する。人間、楽しい時に楽しい話はどうでもよくなるのかしれない。尾崎南でいえば『絶愛-1989-』、CLAMPでいえば『聖伝-RG VEDA-』のあたりだろうか。

 

悲劇的でドラマティックな物語を浮かれた三次元から読む、ある意味心地よい破滅的な状況を二次創作でも同じように作り出していたのではないか。

それらを経ての90年代。一応、当時を知る者として弁明しておくと、読み手もまだまだ悲劇的な話を求めていたように思う。なにしろ、バブルの残り香のような景気がいいのか悪いのかよくわからない世の中で、ノストラダムスの終末をこぞって叫んでいたような時代だ。謎の退廃的雰囲気で、ヴィジュアル系も絶賛全盛期だった。

しかもオタクはなんとしても隠すべき趣味で、BLなどは一番人に聞かれてはいけない話題だった。(このころBL原稿が親バレして、病院に連れていかれそうになったのは私です。あと、泣かれたとか画材一式捨てられたとかいう話を聞くのは日常茶飯事でした)

男の子同士が手を繋いで街をキャッキャウフフする憧れはあっても、現実を見るとそんなイメージはさっぱり持てなかった。今よりもっと密かに、もっと非現実な形で愛でなければならなかった最後の時代が、90年代以降の、やおいの終焉なのかもしれない。

当時の腐女子たちは70年代悲恋と80年代破滅をきっちり踏襲し、90年代のどっちつかずな終末的空気を練り込んだ、おれがかんがえたさいきょうの暗黒ドラマティックストーリーを構築してこっそり楽しんだのだと思えば、今となっては腑に落ちるような気がするのだ。

 

 

時は流れて最近では、ほのぼのしたBLがとても多くなったように感じる。男の娘という単語が生まれる時代でもあるし、BLとは離れるがLGBTに対する社会的な意識の変化もあるのかもしれない。

また、オタク人口の増加と、パソコンさえあれば同人活動を始められるというのも大きい。間口が広がったことにより、今までにない様々なタイプのストーリーが作られることは想像に難くない。

社会的な問題と無理矢理関連づけてみるならば、今の世界は貧困や不況、テロ、銃撃戦などネガティブなワードで溢れている。そんな世界において、好きな作品の中だけは幸せな時間が流れ続けてほしいのかもしれない(現実逃避の意味もあるかも)。比較的情勢が安定していた頃と比べると、正反対の印象になるのが興味深い。

 

ほのぼのはいいぞ、心がピュアっピュアになるんじゃ。

そういうBLを眺めて、孫を見る祖母の心境になっていた今日この頃だったのだが、ここへきて恐ろしいカップリングを発見してしまった。

刀剣乱舞の!石かりだよ!!!!!

最近眺めたCPの中で、こんなに悲劇が似合うCPを私は知らない。なにしろポキポキ折れる。とうらぶイチ折れるCPなのではないか。

それから、2人のキャラクターも神がどうしたこうしたとかいう、壮大な切なさ大爆発が可能な仕様となっていることもポイントが高い。

(少し補足しておくと、ゲーム内で刀剣が折れるとその刀剣はロストし、同じ刀剣は復活できない。名前上は同じものが手に入るが、折れた刀とは別という認識の書き手が多い。この設定も既に悲恋要素がプンプンする)

石かりの二次創作を漁っていると、たとえ折れなくとも90年代暗黒ドラマティックを彷彿とさせるような、痛々しいストーリー(褒め言葉)にたくさん出会えるのだ。

ほのぼのに浸かりきった最近の私には、鈍器で殴られたような凄惨な事故現場の目撃に等しかった。もしくは、私の頭がバールのようなもので殴られたかのようだった。殴られながらも浮かんでは消える、あの頃読んだ暗くて薄い本の数々。こんな走馬灯は嫌だ。

しかし、同時に私はコレ系がわりと好きだったんだな、と気づいた。救われないというか、モヤるというか。そういえばわりと影のあるキャラクターにハマりがちでもある。そうか、好きだったんだな。

 

石かりに感じたこの感情にあやかって、90年代っぽい雰囲気をプンプン醸し出す作品に突然出くわした衝撃を「バールのようなもの」と名付けようと思う。